寺の由来

足利尊氏、弟の直義は、鎌倉幕府滅亡の功績により北条氏領の赤塚六カ村を与えられ、普明国師へ寄進、当時密教系の修験道場(正覚院)であった寺を、本尊 薬師如来を奉り鎌倉 建長寺の末寺となりました。

開山(勧請)智覚 普明国師(春屋妙葩)は、夢窓疎石(国師)の高弟(実の甥)で、鎌倉 建長寺第54世、京都 南禅寺、天龍寺、相国寺に歴任しました。

吹上観音は、吹上(地名)の東明禅寺の中に奉られる観音様が親しみと信仰により、いつしか寺の名前を飛ばし、吹上にある観音様で“吹上観音”(通称)と呼ばれるようになりました。

吹上観音は、天平の時代に行基菩薩が巡行中に観音像を彫刻し、赤池の地に一宇を建てたとされています。

1646年当山 境内に完成した観音堂に移設され、吹上観音と呼ばれるようになりました。

1776年に同の焼失に遭いましたが、右手と左足の損傷以外、奇跡的に御姿は助かり、1781年、観音堂が再建されました。

足の病を治し火の難を防ぐ、と信仰を集めています。