昭和二九年作成由緒書き寛永の初め浄西と云う者あり、信州の生まれにして中年府中に在り不幸にして両脚を折り歩行なし難し強て国に帰らんと欲す、途中出家、自ら誓願を起こし至誠に観音菩薩の名号を唱え日夜怠らず平癒の加護を祈る。
或る時秩父観音を巡拝せんと欲し、当村に投宿し夜半夢中恍惚として白衣の老僧手に白蓮華を持ち光明を放ち三度浄西を呼んで曰く、我はこれ吹上観音なり汝が日頃我を信じて唱名怠る時なし、今其の功徳を持って汝が病を一七の内に平癒せしめん、必ず疑う莫れと云々。浄西歓喜涕泣して礼拝し、これより更に至誠に唱名する事一七日に満たさざるに、両脚 歩行常の如し。これにより其の利益を人々に説き、後に現在地に観音堂建立される。
安永五年十二月十日の夜二更【午後十時頃】本堂内陣より出火す、例年の市の日なる故近郷の商人等境内に在りて驚き、尊像を出さんと欲す、然れども堂内黒煙となり為に終に畏燼となれり、天明に及び餘燼まさに滅せんとする時、雨雪交わり降る。
当村 伊三郎なる者あり、鎌を把りて灰を掻き見れば尊像大光明を放って厳燃たり、即ち笠の上に安じて拝すれば、
左の御手 右の御足を少し損するのみ、茲に至って参拝の群集皆感泣して唱名暫く止むことなし。
是れ所謂 火に入りても焼く事能わず 誠に火中再出現の尊像なり。往古以来来近郷の老若男女疫病を患う者、一度大士の尊像を拝請すれば、疾病忽ち退散し後更に犯さるる事なしと、今に於いて当村に此の患ひある者鮮し 是大士の大威神力なり、凡そ所願ある者 一度至心に拝礼すれば、火災難病衆怨悉く退散し 普く利益を蒙り 一切の願望成就せん。
お経の解読・訳文まず無尽意菩薩が世尊に対して、右肩をはだけ、合掌して「以何因縁 名観世音」
(どのような理由で観世音とお呼びするのですか)との問いを発します。
世尊は「衆生 受諸苦悩 聞是観世音菩薩」(人々は諸々の苦悩を受けるが、観世音菩薩の救済の功徳を聞き知って)、
「一心称名 観世音菩薩 即時観其音声 皆得解脱」
(心から観世音菩薩と唱えたならば、即座にその声を観じて、苦悩から解き放って下さるのだ)それ故に観世音菩薩と名付けるのですとお答えになりました。続いてその救済の内容が語られます。
「火の難」です。たとえ「大火 火不能焼」(大火に遭っても心から観世音菩薩と唱えたならば、火災から難を逃れることができる)。
「水の難」では「大水所漂 称其名号 即得浅処」(大水に漂うようなことがあっても、浅瀬にたどり着けることができる)。
「風の難」では「仮使黒風 吹其船舫 飄堕羅刹鬼国」(仮に暴風雨によって船が流され、羅刹鬼が住むような所に漂着したとしても、心から観世音菩薩と唱えたならば鬼に殺されるようなことはない)。
「王の難」では「臨当被害 称観世音菩薩名者 彼所執刀杖 尋段段壊 而得解脱」(当に処刑されようとする時、心から観世音菩薩と唱えたならば、刀やこん棒は壊れてしまい、苦境から解放される)。
「鬼の難」では「夜叉羅刹 欲来悩人 聞其称観世音菩薩名者 是諸悪鬼 尚不能以悪眼視之 況復加害」(夜叉や羅刹がやって来て、人々を悩ませ危害を加えようとしても、心から観世音菩薩と唱えたならば鬼たちは殺気に満ちた眼で見ることができず、ましてや危害を受けることもない)。
「枷鎖の難」では「?械枷鎖 検繋其身 称観世音菩薩名者 皆悉段壊 即得解脱」(手枷足枷をされ、鎖で繋がれようとも、心から観世音菩薩と唱えたならばたちどころに壊れて苦境から解放される)。
最後の「怨賊の難」では「齋持重宝 経過険路 是菩薩 能以無畏施於衆生 於此怨賊 当得解脱」(沢山の宝物を持って危険な山道を行くと、盗賊に襲われる可能性があるけれども、観世音菩薩の名を唱えることによって勇気が与えられ、怨賊の苦境からも解放される)。
以上の七難からでさえ南無観世音菩薩と一心称名することにより、観世音菩薩は威神力をもって私たち衆生を救って下さるのだと、世尊はお答えになりました
その他の資料より抜粋